江戸時代の1792年、雲仙岳の火山活動が活発化しました。具体的には普賢岳から噴煙が上がったり、溶岩が流れたり、有感地震が多発したそうです。
その火山活動の影響か、5月21日の地震が引き金となり、雲仙岳の東側にある眉山(まゆやま)の東斜面が大規模に崩れ去ったのです。
このような大規模な山崩れを山体崩壊といいます。崩れた土砂は土石流となってふもとの島原の町を襲いました。さらに多くの土砂は海(有明海)に流れ込み、津波を引き起こしたのです。
この津波は対岸の熊本県(肥後の国)を襲いました。死者・行方不明者はなんと1万5千人。有史以来最大の火山災害となったのです。
雲仙、島原地方で起きた災害でしたが、海をはさんで離れている熊本県(=肥後の国)に多くの被害をもたらせたので、「島原大変肥後迷惑」と名付けられました。
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その後、島原外港から熊本港に向かいフェリーに乗りました。
参考:島原大変肥後迷惑